お~いお茶前々夜vol.04【#開発裏のウラばなし】昭和編
2021年も残すところ4日。昨日に続き 年末・年始にかけてスピンオフ。世界初の飲料を生み出した、商品企画担当者 ニックネーム「お~いお茶雄(通称:お茶雄)」に、入社当時から緑茶飲料開発担当になるまでを語ってもらいました。名付けて「お~いお茶前々夜」。昭和の昔ばなしで恐縮ですが、開発裏のウラ?!ばなしをお届けします。
▼前回までのお話
飲料開発の「い」の字も知らない若者が・・・
1981年 神戸で夜討ち朝駆け。会社の前途を信じて。一心不乱にリーフ製品の営業活動に打ち込んでいたお茶雄。一生懸命やればやるほど、悩みも増えてきます。丁度その頃、 - 無糖茶飲料市場の幕開け -となる世界初「缶入りウーロン茶」を伊藤園が発売しました。人気に火が付いていたリーフのウーロン茶。飲料化は、多くのお客様にお求めいただけるさらなるきっかけとなりました。その様子を目の当たりにし、誰にも物真似できない 良い商品と強い営業力があれば、発展するんだろうななどと考えておりました。
そんなある日。「昇格面接があるので、東京本社まで来い」と連絡を受けました。行ってみますと、副社長(現会長)と数人の取締役による面接でした。
昇格面接 そのお題は?!
「烏龍茶の製法を説明せよ」当然ですが、見たことも、現地に行ったこともありませんので、会社から教わった通り答えました。 私は学生時代理系でしたので、生の茶っ葉を摘んで、日向に置けばどうなる、揉み込めばどうなる、酸化されればどうなるといったことは想像できました。ですから、ちょっぴりアレンジ。製造工程の羅列ではなく、その過程で起こることを推定ですがと答えました。
そしたら、「ン~~ン?⁉!」「見たことがあるのか?見てきたのか?」「どこで見たんだ」と、矢継ぎ早に聞かれました。
それがきっかけでしょうか、突如異動辞令を受けることになりました。
「商品企画室に異動を命ずる」
あらゆるものに学びあり
商品企画室。聞こえは良いのですが、当時総員3名。うち2名は、私を含めて新任。商品企画の位置づけは、企業によって様々だと思います。数十人、数百人、数千人の組織を抱えて臨む業種もあるでしょう。飲料事業への進出を進める中、昨日まで、営業で駆け回っていた者が突然、商品のプロデュースを担当せよと言われても、戸惑う訳です。何をどうしたらよいか、さっぱり分からない。
分からないことだらけなので、お取引先様に頼み込んで、工場を見せてもらったり、工場に入り込んで、何日もお手伝いをすることで実務を体に叩き込むことを心掛けておりました。(工場に入り込めるなんて、当時はおおらかな時代でした)
既に商品化されていた、「缶入りウーロン茶」のパンフレットを作ったり、容量違いの品数を増やしながら、当時まだまだマイナーな存在だった無糖飲料が、やがて一大発展すると本気で信じていました。また、無糖茶飲料の発展を促すために、どのようなラインアップとすべきか思い描きつつ、なかなか糸口のみつからない緑茶飲料の開発に七転八倒する日々でした。
明日は、商品企画担当者に欠かせない声のお話。