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お~いお茶前々夜vol.02【#開発裏のウラばなし】昭和編

2021年も残すところ12日。先週に続き 年末・年始にかけてスピンオフ。世界初の飲料を生み出した、商品企画担当者 ニックネーム「お~いお茶雄(通称:お茶雄)」に、入社当時から緑茶飲料開発担当になるまでを語ってもらいました。名付けて「お~いお茶前々夜」。昭和の昔ばなしで恐縮ですが、開発裏のウラ?!ばなしをお届けします。

▼前回のお話し


店で一番売れる商品のメーカー担当者は偉いの?抗えない市場のパワーバランス

1980年代、台頭の著しい大手スーパー。夜討ち朝駆けでなんとか、名前を憶えていただき、ご担当者と友人のような関係を築けるようになった入社2年目の「お茶雄」。

しかし、ある日のこと。大手コーヒーメーカーの営業員さんを目撃。衝撃が走りました。きれいなスーツ姿で契約書片手に「契約数量未達だ」とか何とか、お客様相手に威圧的ともとれる態度。逆に、お店のご担当者様がペコペコ?!

夜討ち朝駆け…晩方に訪ね、また早朝にも訪ねて接触を図る営業スタイル


お茶雄:
「忘れもしません。入社2年目の夏の夜でした。なんじゃこりゃあ~⁉⁉⁉!同じ営業なのに、何でこんなに違うの?こっちは、連日夜討ち朝駆け。ドロドロで這いつくばって働きづめ。少しでも手を抜こうものなら、売場がなくなるっていうのに。それに引き換え、あんな営業スタイルがあるなんて。なんでや…。」

当時は、高度経済成長期。食の欧米化とともに、コーヒーが売れ筋に・・・。コーヒー優勢・・・お茶は劣勢?? 間違いない。でも、それだけで人の優劣が決まるのの?お店の中で一番よく売れるものでないと、会社って持続的にやっていけないんだろうか?素朴な疑問がフツフツと沸騰する気持ちでした。

鮮度が命。ニーズを捉えて躍進したものの・・・抗えない市場の波

1970年代 日本茶・緑茶リーフティーは、専門店で買うもので、細い紙袋に紙こよりで封をして、ビニール袋に入れて売られていました。でも、これではすぐに湿気て、しかも周囲の臭いを吸着してダメになります。

当時の包装はこんな感じだったかも。
当時の包装、作ってみた!

 鮮度をキープだ!と、1972年 伊藤園は業界初の、高速自動包装機(スイス・インダストリアルゲゼルシャフト社製)を導入。茶葉鮮度保持のための真空パック技術を開発。防湿アルミ袋包装とか窒素ガス充填といった長期保存に適した商品をラインアップしていました。

当時の高速自動包装機

台頭するスーパーマーケットの販路に乗り業績拡大。全国に拠点網を拡充して、国内ナンバーワンの売上高を達成した訳です。一見飛ぶ鳥を落とす勢いに聞こえますが、にもかかわらず、夜討ち朝駆け。そうでないと太刀打ちできない。その背景には、日本茶・緑茶リーフティー市場の衰退と業界特有の構造がありました。

若者に次々 立ちはだかる壁 

初めのうちは、防湿アルミ袋包装とか窒素ガス充填の鮮度保持できる商品は優位でしたが、そのうち、ローカルな町のお茶屋さんもが同じことをする。しかも、町のお茶屋さんは規模は大きくなくても、長年の努力で地域に代々根を張っている。となれば、徐々に苦戦を強いられる。身を張るしかない訳です。

しかも、何せ、相手は社長さんクラスが回ってくる。こっちは2年目の若手のアンちゃん。とても歯が立たない。

話になりません。

 しかも、日本茶・緑茶リーフティー市場は衰退。日本一の華々しいカンバンの裏には、苦労に喘ぐ若手営業員たちと、厳しい市場の波が押し寄せる職場がありました。

どうなる。お茶雄?! この続きは、また来週。


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