29歳。お~いお茶 商品企画担当者の七転八倒 昭和編【#開発裏ばなし】
どのような商品も、世の中に出る、その舞台裏には、多くの人々の、それぞれの立場から戦わせる意見、試行錯誤、
まさに「産みの苦しみ」を経て誕生します。
「たかがお茶、されどお茶」
緑茶飲料の可能性を信じ、困難に立ち向かった人たち。
今日は、世界初の飲料を生み出した、当時29歳。
商品企画担当者のお話。
そんなもん、売れない!のコトバは成功の兆し?!
▲「お~いお茶」生みの親。社 三雄(やしろ みつお 現 取締役 専務執行役員)緑茶ブランドグループメンバーとの試飲のようす
‐‐‐‐9月13日(月)‐‐‐‐
今日も「お~いお茶」の試作品が、届いてきます。
ここは、ドリンクやリーフの茶系商品、野菜、果汁、コーヒー、乳、炭酸、サプリメント、水などなど・・・。実に200以上の商品の企画立案を担当する、伊藤園マーケティング本部にある、検茶台。
実に37年の月日がたった今もなお、味わい・香りのチェックは欠かせない。
社(やしろ):「お~いお茶」って、定番でしょ?お茶なんて簡単に入れられるし、安定の味わい。放っておいても、いつもの味ができるでしょ?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私の元にも、ほぼ、毎日のように試作品が届き、一日一日変化する味を評価・検討することが日課になっています。
どうすれば、もっとおいしくなるのか?永遠に続く課題なんですね。
と、社は、一口含んで微笑んだ。その目は、開発当時29歳の若かりし頃と変わらない輝きに満ちていた。
社(やしろ):今でこそ緑茶飲料は普通の飲み物になりましたが、発売した当時は、それはもうボロカスの対象でした。
業界のお歴々からは、関西風にいうと、「こんなもん飲み物やない」、「こんなもんに誰が金出すか!」・・・とまで(苦笑)。
売れる!と確信する若者の前に、「100円では高すぎる!」、「売れるはずがない!」と、社内からも社外からも、罵詈雑言の嵐が吹き荒れた。
当時 お茶といったら、飲食店等で無料で提供されるもの。ましてや、飲料の主流は缶入りのジュースで、標準小売価格は、ほぼ100円だった。
社(やしろ):世の中に今までないもの、新しい気づき。そういうものって、大抵 最初は、ものすごい反対に合うもんです。
みなさんも、経験ありませんか?
社内外、いろんな人が、ほんと色んな理由をつけて、いつの間にか、どんどん高い壁が積みあがっていくこと・・・。しかし、不思議なことに、反対一色でも、僅かながら賛同者も現れる。
今もなお、お叱りやご意見をいただくお客様と、土づくりから共に歩んでくださる生産家の皆様、抽出からボトリングまで商品を作っていただく提携先様、そして、信じて共に七転八倒してくれる仲間がいることが何よりの励みになりました。
そうか。でも、どんどん、できない理由が目の前に積みあがっていく。めげないもんなんだろうか。ちょっぴり疑いの目を向けつつ、話を戻す。そもそも、日本茶、緑茶って伝統飲料。でも、緑茶飲料が登場する1980年代(昭和後期)は、急須で入れるリーフ市場が陰りはじめていた。
斜陽産業との声もちらほら・・・。日本茶・緑茶リーフ市場の未来は暗い。沈没する。どうするか?
インスタント化を進める案と飲料化を目指す案、どちらも、「もっと生活に身近な商品としたい!!」というのが、夢見る若かりし、社(やしろ)の胸にあった。
アッチチ!アッチッチ!熱い若人の想い
そんな訳で、インスタント化と飲料化を目指すのですが、特に飲料、これが想像以上に難しかったそうで。
第一、誰も作ったことがない。
そもそも、商品の立ち上げには、東京本社にある商品企画担当の企画設計と、静岡の研究棟にある開発担当チームの試作開発のタッグが欠かせない。
当時の体制はというと・・・商品企画部門は、部長と、社(やしろ)を含めた2名の新任担当者の3名。開発部門に至っても、これまた3名と少人数。
理論上はできるはず!確信をもって、企画提案したものの、まったく飲料化への糸口が見つからない状況が続いた。
そこで、社(やしろ)。自らの手でも、試行錯誤、打開策を模索した。
社(やしろ):当時、設備も何もかも ロクに揃っていなかったので、試作といっても、急須で緑茶を入れ、瓶に詰めて、圧力鍋で殺菌していました。
圧力鍋で殺菌と言うのは、レトルト殺菌を再現するためのものです。レトルト殺菌とは、普通の温度で流通・販売する場合、中味が腐ってはいけないので熱をかけて殺菌する方法言います。缶容器などでは、ごく一般的に用いられている方法です。
社(やしろ):いやぁ。できた!って気が急いてしまって。圧力鍋から取り出したその瓶を、うっかり、開けてしまったんです。
突然、中の液体が爆発的に飛び出し、あたり一面に散らばりました。幸い、大火傷には至りませんが、顔や手、首を火傷・・・。トホホ。
皆様ご存じでしょうか?圧力鍋は、100℃を超える温度になります。すると、水は熱湯というよりも、一気に水蒸気になろうとしますので、突沸という恐ろしい現象が起こるのです。
しかも、出てきた代物は、緑茶とは似ても似つかない、得体の知れないもの。赤色なのです。真っ赤っか。そして、何とも言えない焼き芋のような香り。七転八倒、失敗が続く毎日。
社(やしろ):手を変え、品を変え、お茶を変え、温度を変え、濃さを変え。やってみますが、全然ダメでした。アッチチ。アッチッチ。その度に、大わらわ。こんなもん、緑茶じゃない!
立ちはだかったのは、「日常茶飯」
つまり、お茶とご飯は、皆様「食経験」がある。味の誤魔化しがきかない。だから、難しいけれど、緑茶は緑茶らしく、「自然のままのおいしさ」を目指す。着色や着香、味付けなどは一切しない。
これが、今に続く「お~いお茶」づくりの基本となったのです。
「自然のままのおいしさ」言うは易く、実行は難しい。まして、緑茶は毎年の作柄で味は変わりますし、採れた畑でも、採れた時期でも品種でも味はまるで違う。しかも、繊細な味わいはとても変化しやすい。
何せ、「日常茶飯」
繊細な味は、ごまかしがききません。
それが、1984年緑茶飲料の開発以来、七転八倒しながら、毎年繰り返しトライしてたどり着いてきた「お~いお茶」。
そのあたりは、また別の機会に。