突破口を探し出せ!小さなお茶会社のデッカイ夢 昭和編【#開発裏ばなし】
「そんな夢みたいなこと・・・。」「夢ばかりみるんじゃない。」「はたまた、100年早い?!」社会に出た若者たちに、突きつけられる現実の壁。
どのような商品も、世の中に出る、その舞台裏には、多くの人々の、それぞれの立場から戦わせる意見、試行錯誤、まさに「産みの苦しみ」を経て誕生します。
「たかがお茶、されどお茶」
緑茶飲料の可能性を信じ、困難に立ち向かった人たち。
今日は、世界初の飲料を生み出した、当時29歳。商品企画担当者が心に抱いたデッカイ夢のお話。
高度経済成長期。甘~いジュースが世の主役??
日本人の食生活は欧米風の肉食中心になっていく中、市場に出回る飲み物は、相変わらず甘いジュースばかり。
当時の伊藤園は、リーフ(茶葉)の販売を主としたお茶会社。「必ず、健康志向から無糖茶飲料が求められる!」そう、確信していた、現会長 本庄八郎(当時副社長)の発案のもと、企画・開発の面々は、1975年ごろから、緑茶の飲料化に向けて、研究開発に着手していました。
なかなか克服できない大きな壁 「悪の5大要素」
ご存知でしょうか。「緑茶の大敵、悪の5大要素」を。緑茶であれば多かれ少なかれ、この影響から逃れることはできません。
1つ目は酸素。
緑茶は酸素が苦手。 カテキンは赤く変色しますし、茶葉に含まれる
成分や香りを壊す。酸化して悪い味・香りに変えてしまいます。
2つ目は高温(温度)。
高温は、酸素の影響を加速するので、一気に味が落ちて、真っ赤に変色、さらにとんでもない味や香りに変えてしまいます。
3つ目は湿気(水分)。
日本茶リーフ(茶葉)は乾燥した状態で商品になります。ところが、これが湿るとたちどころに酸化の影響を受けて、風味が悪くなります。
4つめは光。
やっぱり酸化を促進します。澄んでいる液体では、さほど影響はないのですが、リーフ(茶葉)の場合、色・味・香りにはひどく影響します。
5つめは香り(移り香)。
茶葉には、においを吸着する強力な脱臭作用があるため、密封されない状況で保存すると、周囲のにおいを吸収し、品質を著しく損ないます。
着色や着香、味付けなど一切しない、「自然のままのおいしさ」。言うは易く、実行は難しい。しかも、緑茶の繊細な味わいは、とても変化しやすい。開発の糸口が見つからない日々が続いたと言います。
飲料開発の「い」の字も知らない若者が・・・
1981年。神戸でリーフ製品の営業を担当していた、社 三雄(やしろ みつお 現 取締役 専務執行役員)に、ある日突然、招集がかかり、飲料製品の商品企画担当が命じられた。なかなか糸口のみつからない緑茶飲料の開発に、飲料開発「い」の字も知らない若者が加わることとなる。会社員をしていると、誰しも思いもよらぬ辞令をうけることがあるだろう。しかし、社(やしろ)は、「無糖緑茶飲料が世に出たら、飲料業界に激震が走るに違いない!」と心に闘志を燃やしたという。
社(やしろ):当時、一世を風靡していた甘いジュースが主体の飲料業界から見たら、小さなお茶屋の分際で、市場を変えるなんて100年早い!って影で言われていたかもしれません(苦笑)。いやいや、言われていましたね。きっと(笑)。身の程知らずの新参者。小さなお茶会社のデッカイ夢。でもね。「やってやる!」って思いました。本気で信じていましたから。
お取引先様の一言が、衝撃の突破口に!
「たかがお茶、されどお茶」
着色や着香、味付けなど一切しない、「自然のままのおいしさ」の
飲料を作り上げるための、結構高いハードル。来る日も来る日も、思いつく、ありとあらゆる方法を、試しては、失敗の繰り返し。社(やしろ)も、頭をかかえる日々が続いた。
社(やしろ):飲料化がなかなかできない、ネックとなっていたのは「酸化」との戦いと言っても過言ではなかったです。酸素の緑茶への悪影響を防ぎ、いかにして、品質を守れるか?急須で緑茶を入れて、すぐに飲む分には、何の問題もない「酸素」の影響ですが、これが飲料となると、話がまるで変わってきます。
長時間「酸素」に触れる状況を避けることができれば、酸化を防げる!つまり、液中の酸素量は極限まで下げる必要があったのです。
▲繊細な緑茶は、酸素に触れると酸化し、赤色に褐変する
社(やしろ):普通、水には酸素が溶けている。だから魚介類も生息でる訳ですが、緑茶飲料では、ゼロにしなくてはいけない。
ある日、お取引先様との何気ない会話の一言を聞いて、社(やしろ)に衝撃が走った。「炭酸飲料ってのは、缶のヘッドスペースに炭酸ガスを吹き込むことができるんですよ。社(やしろ)さん。」
「ヘッドスペースにガス?!」そう。その一言が、足掛け10年。世界初の緑茶飲料を誕生させる突破口となったのです!それから完成に至るまでの、怒涛の年末のお話は、また別の機会に・・・。
番外編:コードネームYM?!若き心を震わせる
さて。情報化社会の近年では、多くの情報はパスワードがかけられるなど、秘密が守られています。しかし、緑茶飲料が登場する1980年代(昭和後期)は、まだまだアナログ。FAXや、電話。目に触れることも多かったといいます。されど、新商品の開発情報は、極秘情報。発売までの過程では、一切の流出を許さない。コードネームをつけて、徹底した情報統制を厳守している大手企業の事例を目の当たりにした、社(やしろ)。
まだまだ、小さなお茶会社の若手社員だった彼は、あこがれ半分、「これこそ飲料業界に激震の走るイノベーションだ!」と、本気で思っていたことも後押し、ある日、伊藤園の創業者であり、当時 副社長だった本庄八郎(現 会長)へ「緑茶の飲料化が成功できそうだ」と報告の際、何かの拍子にコードネームの話題に発展。
すると、本庄。「コードネームは、YMにしよう。社(やしろ みつお)君。」「え?!」「君のイニシャルだよ。」
小さなお茶会社のデッカイ夢。創業者の粋な一言が、緑茶飲料の可能性を信じ、困難に立ち向かった若き担当者を、益々奮い立たせた。