見出し画像

世界初の商品を生み出せ!若者たちの挑戦 昭和編【#開発裏ばなし】

「日常茶飯」つまり、馴染みのあり誤魔化しの利かない緑茶の飲料開発の壁。「自然のままのおいしさ」の実現の舞台裏では、お茶の香りを追い求めた若者たちの奮闘ぶりはどんなものだったのだろうか。

どのような商品も、世の中に出る、その舞台裏には、多くの人々の、それぞれの立場から戦わせる意見、試行錯誤、まさに「産みの苦しみ」を経て誕生します。「たかがお茶、されどお茶」緑茶飲料の可能性を信じ、困難に立ち向かった人たち。

突破口を開いてから発売まで怒涛の数カ月。今日は、世界初緑茶飲料 誕生に向け奮闘し、走り続けた若者たちの怒涛の年末のお話。

苦節10年。突破口はお取引先様からのある一言

どんなに茶葉の種類や抽出の方法、殺菌方法を試しても、緑茶の水色は赤くなり、緑茶本来の香りがなく、香りの変質によって、焼きイモのような香りがした。原因は、酸化による仕業だという仮説はきっと間違いないだろう。

1984年の4月、商品企画担当者の社(やしろ)から研究室(現開発部)安倍宛に1通のFAXが届く。

それは、酸化を防ぐ突破口を見つけたというものだった。ある日、「炭酸飲料は、ヘッドスペース(液面と蓋との隙間)に炭酸ガスを吹き付けるんですよ」という、お取引先様からの何気ない一言に、社(やしろ)はピンときた。炭酸ガスが吹き付けられるなら、不活性ガスの窒素も可能だろう。そう、窒素で酸素を追い出すという方法だ。この突破口を聞いた、開発担当の安倍は、半信半疑だった。それもそうだ。これまで、何回もの試作で上手くいかず苦悩してきたからだ。その後、窒素を吹き酸素を極力取り除いた試作を行ってみると、確信に変わった。緑茶の褐変(赤色)化を防げる!そこから、一気に歯車は回り始め、年末までの怒涛の試作・検証の日々が始まる。

ますます拍車がかかった開発に向けての試行錯誤の日々。彼らはどのように走り続けたのだろうか・・・

画像1

▲当時開発担当者:安倍(左)、企画担当者:社(右)

当時を振り返ると、

安倍:FAXには、発売までの試験や計画ががっちりと組まれていました。
それに、試作依頼に対し、出来上がったサンプルを本社に送れば、香味の評価と同時に次の試作依頼の内容がその3倍にもなって、返ってきました(笑)。
社(やしろ):当たり前ですよ。本気で作ってくれた試作品に対して、真剣に評価し、本気で返答する。熱意ある姿勢に応えることは礼儀だと思っていますから。


その時、社も実際に本社で、茶葉を使用し、ありものの道具を使って試作を繰り返し、検証を行っていた。

お互い20代当時の印象はどうだったのだろうか。

安倍:とても厳しい先輩でした。試作のやり取りの中で、必ず実現させるという強い信念を感じましたね。私の入社動機は、「ヒット商品を作りたい!!」だったのですが、社専務は違いました。私、途中で気づいたんですよ。あぁ、ヒット商品ではなくフィット商品を生み出すために、この方は取り組んでおられるんだって。今、お客様が欲しているものを作ることこそ重要だということを。そのことは、新入社員だった私に語った「簡便・健康・品質の時代が必ずくる!」という仮説からも感じられました。
社(やしろ):今も同じ気持ちですよ。安倍君は口数の少ないタイプでした。でもね、開発に対して心に秘める強い想いと強い責任感をビシビシ感じました。とても真面目で本気で取り組む青年だなと。彼はヒット商品を作る!という熱い思いから、入社前に、調理師免許を取ったというのだから、本物だよね。
安倍:口に入れる飲料だから、調理・食材・栄養・衛生に関する知識が必ず必要になると思ったんです。

二人の間に、がちっと組まれた信頼関係が伝わってきた。
お互い本気であるために、ぶつかることも多々あったという。探求の人、社(やしろ)から研究室(現 開発部)に電話が入ると、蜘蛛の子を散らすように皆席を外したこともあったとか、なかったとか。

発売日迫る年末、怒涛の試作、テストが続く・・・

発売まで一年を切った怒涛の試作・テストの日々に話を戻す。次に、緑茶本来の香りの課題に向け、研究室(現 開発部)では、もう一度、緑茶原料の選定、焼きイモ臭を発生させない緑茶本来の良い香りを実現する火入れ加工、ブレンド、抽出条件、調合方法、殺菌方法などあらゆるアプローチで、無数にもある組み合わせをひたすら試し続けた。緑茶原料の選定で、全国の産地から茶期、品種、茶種などあらゆる茶葉をかき集め、検証できたのもお茶会社ならではの強みである。

茶葉イメージ

いよいよ、工場での製造テストに臨むが・・・

ようやく、工場での生産を見越し、規模を大きくした製造テストに臨むが、そこに至るまでも安易ではなかった。

当時、社・安倍ら若手メンバーが、何百万ケースをも作っている容器詰め製造会社相手に数千ケースという数量でテストさせて欲しいと乗り込むのだから、邪見に扱われても無理もない。さらに当時は、無糖飲料よりも有糖飲料が主力である。売れるか分からない商品に積極的ではない、そんな風潮があった。そんな中にも、彼らの決死の思いに協力して頂けるお取引先様があった。その後も長いお付き合いとなる大切なお取引先様である。

その年の秋、製造現場に入らせてもらい、何度も試作を重ね何度もテストで確認をした。

日常茶飯。お客様にとって、生活に馴染んだお茶だからこそ、難しい。緑茶本来の香りへのこだわり

安倍:ラインテストでは、色が改善し、さらに緑茶の香りに近づいて手ごたえを感じていたが、まだ、香りが足りない。目指すは「美味しさは香り」。とにかく高い壁でした。
社(やしろ):「日常茶飯」という言葉があるように、お茶の風味はとても繊細であり、お客様にとって昔から馴染みのある飲み物。誤魔化しが利かない故に難しいのです。


あらゆる茶葉を用いて、あらゆる手段で緑茶の香りを引き立たせる焙煎試作が続く。自社工場の焙煎現場にも相談し協力して取り組む中で、色に変わりなく香り立ちが良い茎茶にたどり着いた。

社(やしろ):それだけでは、検証は終わらないんです。抽出条件でも、温度・時間において、1℃1秒刻みでこだわってこそ!この美味しさは成立するんです!

今も続く、緑茶本来の香味を引き出すための、急須を再現した抽出方法である。

昼夜問わず続いた、企画担当者と開発担当者での、1000回にも及ぶ試作のキャッチボール

試作続けること、1000回にもおよぶ試作。

安倍:昼夜問わずね(笑)。
社(やしろ):そんな時代でしたね。

12月の暮れ、ようやく処方がきまり、年明けいよいよ初回生産に挑む。
安倍は、使用する茶葉400kgを自分の手で「舟」と呼ばれる大きな容器でブレンドして臨んだ。その茶葉の種類は、当初検証時よりも2~3倍に増えていた。

画像3

▲「舟」イメージ ※当時使用していたのは、木製でおよそ2m×3mほどの大きさ!

いよいよ初回生産品。一口飲んだその瞬間「ぷはー!うん!うまい!」納得の緑茶本来の香りと美味しさが口の中に広がった。

ついに「世界初!」缶入り煎茶誕生!!

ついに、1985年の2月。世界初の緑茶飲料「缶入り煎茶」の発売にこぎつけた。破竹の勢いで爆発ヒットか⁈いやいや、ここからまた彼らを悩ませる闘いが始まるのである。そのお話はまた別の機会に。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

最後までご覧いただきありがとうございます!「お~いお茶」にまつわる疑問を、ナビゲーターのお茶実がお答えしていきます。是非コメントをお寄せください!