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お茶とサーフィンの町編 「いつでもどこでも」「自然のままのおいしさ」ができるまで【#開発裏ばなし】

伊藤園中央研究所のある、静岡県牧之原市。
ここは、言わずと知れたお茶の一大産地であり、サーフスポットが多数点在する、サーフィンの町でもある。研究所配属後にサーフィンをはじめたという社員も少なくない。

1984年  伊藤園が世界初の缶入り緑茶飲料を発明したこの頃、研究所に程近い海岸で、お茶を飲むサーファーの姿に緑茶の新たな波🌊を感じたというのが、この人。

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▲安倍義人/1981年入社。入社当初の配属は研究室(現在の中央研究所、品質管理部、開発部)

今回は当時の開発チームのメンバー、安倍の目線で、お~いお茶の元祖、「缶入り煎茶」の開発裏ばなしを紹介する。


■お~いお茶の元祖 「缶入り煎茶」

1970年代、緑茶(リーフ・お茶の葉)の消費量が陰りを見せていた頃、お茶のアウトドア化と市場の活性化を目指し、伊藤園は「缶入り煎茶」(のちのお~いお茶)の開発に着手。この開発チームに新入社員の安倍が加わった。

お茶の葉を売るだけでなく、お茶を缶に入れ、いつでもどこでも飲める飲料商品にしたい。今でこそ、あまりにも当たり前で、簡単そうに聞こえるかもしれないが、安倍ら開発チームは、なんと足掛け10年悩まされることになる。

お茶2

▲緑茶はさまざまな要因で劣化しやすいデリケートな飲み物


■飲料化最大の難関「香り」

当時、飲料容器の主流は缶。缶入り煎茶の製造工程はこうだ。
原料のお茶の葉を使ってお茶をいれる。できたお茶を缶にみたし、缶蓋を締める。それからお茶が腐らないよう、缶の外から加熱殺菌(レトルト殺菌)する。

高低

1985年発売当時の商品マニュアルより抜粋。「ノウハウ」部分が、その後の缶・ペットボトル飲料に大きな影響を与えることに。

開発中のある日、「缶入り煎茶」の試作に取り掛かる。
お茶をいれ、缶にみたし、ふたを締める。そして加熱殺菌!よし。よし。おいしいお茶が飲めるに違いない。

殺菌

▲左:巻締機 右:殺菌に使用していた高圧蒸気滅菌器 

…ところが。
缶を開けた途端、部屋中に焼き芋のような香りが広がった。缶の中身は赤く褐変した液体。真っ赤っか。お茶を缶に入れて加熱するだけ、そう簡単ではなかった。

この焼き芋のような香り=イモ臭を抑えなければ、飲む人にお茶として納得してもらえない。安倍は即、お茶の葉の種類や量、抽出方法を変え、来る日も来る日も試行錯誤。試作回数は1000件をゆうに超えた

安倍:どんなお茶をつかっても、どんな抽出条件でも、必ずイモ臭くなった。産地、製法、茶期の違うお茶を試したり、それらをブレンドしたり、アルコール抽出してみたり、お湯ではなく水で抽出してみたり。

それでも…何度やってもやっぱりイモ臭い。失敗の連続。商品化は不可能とも思われた。
でも!!!あきらめきれない!!!

安倍:なんとしてでもお茶を飲料にしたかった。だからたんたんとやり続けた。できるまでやる、というつもり。お茶の缶飲料を作りたいっていうのが、会社の悲願だったし、自分の夢でもあった。絶対やり遂げたかった。

クリアできない香りの課題。突破口は…?


■試作1000件の先に見出した「自然のままのおいしさ」


安倍:突破口になったのは、開発責任者からの提案。不活性気体である窒素をヘッドスペース(図1)に吹きこみ、酸素を取り除いてみたらどうか、というもの。半信半疑でやってみたら、嘘みたいにイモ臭さが消えた

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▲図1:製造工程「ノウハウ」部分。製造技術の情報収集を欠かさなかった開発責任者からの提案だった。

驚きとともに大きな手ごたえを感じる開発チーム。「イモ臭さもない!色もきれい!いける!」と思ったのも束の間…。まだまだ開発は終わらない。

安倍:イモ臭さはなくなって色もきれいになったが、お茶本来の香りがまだ弱かった。急須でいれたような「自然のままのおいしさ」を目指し、発売日が迫る中、試作とテスト生産を急いだ。

求めていたお茶の香りに貢献したのは、ブレンドした茶の「茎」部分。この部分は、水色に影響せず、お茶らしいさわやかな甘い香りを高めた。
ついに、「自然なままのおいしさ」に。

1985年2月1日 「缶入り煎茶」ついに発売!

煎茶

▲煎茶の「煎」の漢字、読めるがなじみがなかった。その後、「お~いお茶」にリニューアルされる。

安倍:発売日ぎりぎりまで改良に次ぐ改良。ずっとお茶漬けの日々。結構バタバタでつらかったし、楽ではなかった。発売しても、やった~!という感じはなかった。でも、楽しかった。発売してもしばらく(実は年単位で)売れなかったけど、いつか売れると思った。

思いを確信に変えたのは何だったのか。

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▲入社5年目 品質管理部所属の社員。当時のサーファーも、こんな感じだったのかも?!

安倍:牧之原市は静波・鹿島・片浜とサーフスポットが多い。缶入り煎茶を発売したころから、サーファーが飲んでくれているのをみかけることがあった。海からでてお弁当食べるときなんかに、缶入り煎茶を飲んでくれていた。若い人も飲んでくれるのだな、やはり、お茶で良いのだなと確信。

当時の市販の飲料は、甘いものが主流。家で飲むものという概念が根強く、甘くないお茶を、いつでもどこでもおいしく飲んでもらえるようにしたい。長く険しい開発の日々を送った安倍を「いつか売れる」、そんな気にさせてくれたのは、意外にも『ポパイ』『Fine』を手にしたファッションやカルチャーに敏感な若者サーファーだったのだ。


お茶は、なじみがあるだけに味の誤魔化しが効かない。だからこそ、緑茶は緑茶らしく、「自然なままのおいしさ」を目指す。これは現在のお~いお茶にもつながっている。

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